綿矢りささんの「蹴りたい背中」を読了しました。
文学史上に輝く作品ですから、しょうがなく読んだ。
で、ものすごい印象を残されてしまった。言葉の選び方がリアルで女子高生の頭の中を覗き込んでへへへって思ってたのに、ぜんぜん理解できておらず唖然となる。すごい作品だった。
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綿矢りさ、この名前を聞くと、私の胸にはモヤモヤしたものが生まれる。
京都府出身の現役女子高生が本を出して話題になった。だから私は買いました。それが「インストール」。内容が面白いとは感じなくて、押し入れの中でゴニャゴニャしていた感覚だけが残っている。
それから間もなく「蹴りたい背中」で芥川賞受賞。更に脚光を浴びた。
私は綿矢りささんと歳が近く、20歳前後だったあの当時、同世代が社会で活躍する姿を垣間見て、ものすごく焦りを感じた。
そういうお年頃だったんですよ。自分にも何かできるはずだって思っていた。俺だって小説くらい書けるぞって思っていた。書かなかったけど。
「くそう、綿矢りさめ。顔が可愛すぎる」
と、愛と憎しみの間で揺れ動きながら、私は「蹴りたい背中」をスルーした。「読んでたまるか」と。
あれからずいぶん時間が経って、私の人生にも色々ありました。
何かできるはずだったけど、何かできるはずだと思い続けて、今でも何かできるはずだと思っています。
とにかくね、名作すぎてスルーできなくなって、ついに読むことにしました。
女子高生の一人称で語られる小説ですが、比喩表現や言葉の選び方が秀逸で本当に女子高生の頭の中を覗き込んでるような気分になります。女子高生が女子高生のままそこにいて、めちゃめちゃキャラが立つんですよ。頭の中がうるさい。
群れるのを拒否し、周りの人をややバカにして冷めた視点で見る。そして、同じく孤立している男子をバカにしつつも気にする。その背中を蹴りたい。いや、蹴ってる!
複雑な心境を綴ったお話です。
2003年当時、この文体はめちゃめちゃ新しかったのだと思います。これ以降の著述家に与えた影響はとても大きいのだと推察します。似たような主人公の小説とよく出会う。(2003年より前の作品は研究できていないのでなんとも言えませんけども。)
なにか起こりそうな雰囲気が漂いつつも、ずっとなにか起こりそうなまま話が進みます。
クラスでは孤立する主人公ですが、唯一の友達絹代がいる。この子の視点から主人公を見ることによって、物語に深みが増すのが面白いところです。
この当時の綿矢りさにしか生み出せなかった作品に、私もみんなもやられてしまうわけですね。
自分にしか生み出せない作品があるはずだ。
それに集中したら何かできるはずだ。
こんな私でも。
まっ、綿矢りさにはとうてい勝てません。
ちゃんと敗北を認められるようになった分だけは大人になったのかも。